数奇な運命をたどり70年
関の短刀が帰国

1936年の日独防共協定締結を受け、日本各地を回っていたヒトラー・ユーゲントの団員30人が 1938年(昭和13年)10月13日刃物の町関市(当時は関町)を訪れました。 その中に日本刀鍛錬の実演に目を見張る若者がいました。刃物の産地ドイツ・ゾリンゲ出身の フリッツ・ヘアウィッグさん。記念にもらった関の短刀を母国に持ち帰りました。
その後、ドイツ空軍のパイロットになったヘアウィッグさんは1941年空中戦で戦死。21歳の若さでした。 兄弟がなかったため一家は断絶、遺品は甥のエルンスト・ニゲロ氏が受け継ぎました。 エルンスト・ニゲロ氏は当店でも取り扱っております爪切、甘皮切などの美容刃物などを製作し ているニゲロ社の社長。家族で大切にしてきた短刀だが故郷に返したいとニゲロ社と取引のある 関市の㈱井戸正の井戸誠嗣社長に連絡。 短刀を受け取った井戸氏が昨年12月関市に寄贈しました。 この短刀はヒトラーから届いた西洋カブトと一緒に関市の関鍛冶伝承館に展示されています。

ヒトラーユーゲント(Hitleriugend,略号:HJ、ヒトラー青年団)は、1926年ナチスによって設立された 青年組織。
ナチスのイデオロギーをドイツの青少年に教育するために設立された。
1936年の日独防共協定締結などに伴う日本とドイツ(後にイタリアも参画)の枢軸関係締結に伴い、 1938年にヒトラーユーゲントが来日した。この際には明治神宮と靖国神社などへの参拝や各種歓迎 行事が執り行われた他、北原白秋作詞の歓迎歌が作られるなど日本国民を挙げての大歓迎を受けた

新聞の紹介記事

上記掲載新聞には当時のヒトラーユーゲント団員が関町市内を行進する写真(右上)と
刀剣館を見学する団員たちの写真(右下)も掲載されています

関市に行く機会がございましたら是非ご覧なって下さい。

関鍛冶伝承館
501-3857 岐阜県関市南春日町9-1
TEL0575-23-3825


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